魅惑のジャズ・サウンド 〜クロード・ソーンヒルの世界〜
予告篇
文:ウツボカズラ (フロスティッドグラス)
皆さんはジャズという音楽についてどのような印象をお持ち
だろうか。「ジャズは小難しい」「なんだかオシャレな感じで
近づきがたい」「興味はあるけど、どこから聴いたら良いか
分からない」。いろいろな意見が噴出すること必定、という
感じである。さて、「ジャズの発祥地はどこか」と問われれば、
米国ニューオーリンズである。さまざまな人種の混合がもた
らしたニューオーリンズのゴッタ煮文化が生んだ数ある落と
し子のひとりとしてジャズも誕生した。そして、その音楽の
主なる用途は(意外と思われる向きもあるかもしれないが)
実に、売春宿や酒場のBGMとしてであった。余談だが、
ジャズトランペットの偉大なオリジネイター、‘サッチモ’こと
ルイ・アームストロングの母親も、売春婦であったと言われている。
「三つ子の魂百までも」というわけではないだろうが、ジャズは
セクシャルな事象にまつわる(音楽表現のテーマは勿論それ
だけではないことは言うまでもない)あらゆる恍惚、陶酔、熱狂、
孤独、悲愁、絶望、暴力、退廃を心置きなく、音で描いた。そして
その表現は、次第に洗練の度合いを深め、やがて、すばらしい
娯楽へと昇華し、聴く者の心を深く打つエナジーをその響きに
宿していった。では、そんなジャズがなぜ衰退してしまったのか。
各種多様な理由があるだろうが、科学技術の急速な発展に拠る
人々の生活サイクルの激的な変化、社会生活の複雑化、その
ような社会を背景として、構成が単純で、快楽を得やすいロック
ビートの商業的成功が、その根幹要因であると言えるのでは
ないだろうか。
今回わたしが紹介したいのは、そんな多くの人にはあまりなじみ
のない、ジャズのミュージシャンなのである。名前はクロード・ソー
ンヒル。彼は、前述の‘サッチモ’に遅れること8年、1909年8月10日
米国インディアナ州に生まれた。シンシナティ大学に学んだが、それ
も米国中西部のいくつかのバンドでピアニストとしての腕に磨きを
かけるまでの話である。若き日のソーンヒルは、‘ジャズの王様’ポー
ル・ホワイトマンの楽団や、‘スウィングの王様’ベニー・グッドマンの
楽団、そしてあのグレン・ミラーを擁したレイ・ノーブル楽団を、渡り
歩いた。彼の担当楽器はピアノであり、そのキャリアの中で、編曲家
としてもいくつかのヒットを生んでいる。
1940年、ソーンヒルは31歳にして初めて自身の楽団を結成する。
そしてこの楽団においてソーンヒルのベスト・レコーディングとい
われる作品の多くで活躍することになる編曲家、ギル・エヴァンズを
迎えることになった。モダンジャズに興味のある方なら、その名前に
聞き覚えがあると思う。そう、彼こそはかのマイルズ・デイヴィス
九重奏団によるアルバム「クールの誕生」の主要な編曲を担当した
名アレンジャーなのである。ギルの編曲したソーンヒル楽団の作品を
聴いたマイルズ・デイヴィス直々にコンタクトがあり、ギルがマイルズの
グループのアレンジを手掛けるに至ったことは、あまり知られていない
事実であると言っていいだろう。ギルとソーンヒルは、ソーンヒルが元来
アレンジャー志向であり、互いにピアノ奏者ということもあって、音楽的な
交友はかなり深かったようだ。そういう点でソーンヒルはマイルズ・デイ
ヴィスが生んだといわれるジャズのムーブメント、‘クール’の真の生みの
親のひとりであると言えるのである。
ソーンヒルのジャズに対する最大の功績はフレンチ・ホルンを、
ダンスサウンドを奏でるジャズバンドの一員としたことである。
加えて彼は元来マーチングバンドの楽器であるチューバをも
改めて自身のバンドで紹介した。それまでの‘バップ’のムーブ
メントは急速かつ激しい演奏を特徴としたが‘クール’のムーブ
メントの牽引者たちは、静けさを求め、一様にクラシック音楽に
影響を受けている。ソーンヒルはそれがとくに顕著で、前述の
楽器以外にもフルートを楽団に加えている。また楽曲の演奏に
おいてもソーンヒルのクラシックに対する造詣の深さが伺える。
例えば「Stealin'
Apples」(A.Razaf-T.Waller)という曲の演奏の
冒頭で聴こえるマルテラート(両手で交互に和音を急速に打ち
鳴らす、クラシックピアノの一奏法)は、まさにその象徴といえよう。
高度な技術とハーモニーセンスをもつプレイヤーに支えられた気品
ある演奏、温かみのあるドリーミーなゲスト・ヴォーカリストたちの名唱
そして極めつけは、滴るような、それでいて、絶妙なノリのあるソーン
ヒルのピアノ演奏が三位一体となった、聴く者を十全に包み込む、夢
見るような音楽。それがクロード・ソーンヒルの音楽である。この文章を
読んでもらった方のなかでひとりでもふたりでもジャズについて、そして
ソーンヒルという音楽家について興味を持ち、さらにその響きを耳にして
もらえることがあれば、わたしはこのうえなくうれしい。クロード・ソーンヒル
の音源を、ぜひ気軽に手にとって、聴いてみてもらえたらと思う次第である。
アメリカの育んだ素晴らしい音楽文化への入り口となること請け合いだ。
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蛇足までに、現在入手しやすいCDのタイトルを付記しておきます。
都内、その近辺の外資系大型レコード店のジャズコーナーで入手可能。
上からオススメ順になっています。
Claude Thornhill -
Snowfall (2000
,TIM) ドイツ・ハンブルグの
レコード会社TIMから出ている。ちょっと聴いてみるのに最適。輸入
盤で価格も手ごろだ(1200円くらいで購入できる)。
Claude Thornhill - The
Transcription Performances 1947 (HEP records)
UK・イングランドのレコード会社HEPから出ている。こちらはちゃんとした
入門用という感じで、パーソネルもしっかり明記。脂の乗った'47年
の演奏。同年9〜12月にかけてNYCで録音されている。
Claude Thornhill - 1941 Vol.1
(HEP records) クロード・ソーンヒル楽団
初期の演奏。ソーンヒルについて興味を深めた方は聴いてみると良いのでは。
Claude Thornhill - 1948 (HEP
records) 「ソーンヒル・マニアを目指したい」
なんて方には良いかもしれない(!?)。ちなみにこのHEP
recordsのメトロノーム
シリーズという一連の歴史的名演カタログはいわゆる‘モダン’で
‘豊穣’なジャズがぎっしりつまっていてどれもオススメである。
★★★
書籍では新潮社から出ている「さよならバードランド」がオススメ。
ジャズ・ミュージシャンに関わる逸話がぎっしり詰まったたいへん面白い内容であり、
その中で約1章に渡ってクロード・ソーンヒルが取り上げられている。
著者はビル・クロウというミュージシャンで、彼自身もジャズ・ベーシストである。
日本語訳は村上春樹が担当していて、巻末では
村上による入魂のジャズ・ディスクガイドも読める1冊。
ぜひご一読あれ!
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参考文献 Claude Thornhill - Snowfall
ライナーノーツ
インターネット音楽サイトListen Japan クールの項テキスト全文
同Solid! クロード・ソーンヒルの項テキスト全文
「ジャズ・アクネドーツ」(ビル・クロウ著 村上春樹訳 新潮社刊)
マルテラート奏法の発見に際して、細谷滝音氏の助言を頂きました。
感謝申し上げます。special
thanks to HOSOYA Takio, HOSONO Haruomi, Jazz
Music and Computer
technology !
この文章は英米文化同人誌Open
Reading第2号に寄せて書かれた
もので2002年2月16日脱稿した(2月25日一部改稿)。