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いまはアマチュアでもいいって感じですね。
それがいちばん心地よい

Love,Peace & Trance
細野晴臣
iNTERVIEW

聞き手=渡辺健吾

ミュージックマガジン 1995年2月号 掲載


(前略)彼が、全面的にプロデュースを手掛けたプロジェクト・アルバム
『ラブ、ピース&トランス』(!)のリリースにあわせ、細野晴臣のアンビエント観を探った。

数少ない仲間に、会ってみたかった

―最近はアンビエントに入れ込んでいるそうですが、
アンビエントというと、ブライアン・イーノが思い浮かべられます。
彼がアンビエントを作り始めたきっかけは、怪我で入院したことなんだそうです。

細野さんも、ノン・スタンダード時代にOTT(オーヴァー・ザ・トップ)というコンセプトで
過激、過剰なものを追求していましたが、雪で転んで骨折したのが原因で、
それをやめてしまいましたよね? 
その辺の経緯に関して、シンパシーを感じるようなところがありますか。

細野「ああ、そう。そのイーノの話は知らなかったな。
僕がアンビエントを初めて聴いたのは、まだYMOをやってる頃だな。
イーノのオブスキュアー・シリーズで。彼の一連のプロデュースものを聴いてました。

その頃から、アンビエントって名前はなくてもそういうものに惹かれていたんですよ。
確かに、骨を骨折して療養してたときには、ほとんど音楽聴かずにファミコンやったり、
そういう静かな生活送ってました。そういう意味では、僕にとってはいい骨折の時期を迎えたんですよ。

まあ、その前からなんかしら起こることはわかってたんです。
過剰なことを続けていくと、どっかしら破綻をきたす。
まあ、身体に出るのはまだいい方で、だから骨折でまだ良かったんですけど。
ストレスっていうのは、癌になったりとかするし。

僕が知ってる限りでは、
横尾忠則さんが骨折とか病気とかじゃないことで変化を乗り切ってきた人で、
いいなーと思ってたんですが。イーノは怪我だったんですね。
ということは、僕もかろうじてその仲間入りが出来たのかな。

―今回のアルバムで、サン・フランシスコのアンビエント・プロデューサー、
キム・カスコーン(サイレント・レーベル主宰)と仕事をしたそうですね。

サン・フランシスコは確かにアンビエントが大変盛り上がっていますが、
例えばミックスマスター・モリスやピート・ナムルックといったヨーロッパで活躍する
アンビエント・アーティストも沢山います。なぜ、特にサン・フランシスコの
キム・カスコーンにミックスを頼んだんですか。

細野「そうね。それまでサン・フランシスコは20年間忘れてた街なんだけど、
去年あたりからそのサイレントを通して見直し始めてたんですよ。
そこのコンピレーションが『フロム・ヒア・トゥ・トランキリティー』っていうシリーズなんだけど、
そのサイレントとトランキリティーっていう名前の響きが良かった。
トランキリティー(静けさ、平静)っていうのは、今の僕の大事にしてるキーワードなんで
゛ああ、ここにもいるな"って感じで、会ってみたかったんですよ。数少ない仲間にね」

―じゃあ、音楽的な面ももちろんだけれど、
姿勢や精神的な面で繋がるところがあるんじゃないかと。

細野「そうですね。また、ニュー・エイジくさかったところが今どうやってアンビエントに
結びついているのか、雰囲気を嗅ぎに行きたかったんですよ」

―実際行ってみて、思った通りでしたか。

細野「いや、思ったというか、期待はしてなかったんですよ。
で、案の定、昔ながらのヒッピー・ショップが観光地化されてて、お土産屋さんみたいに
えせヒッピーの店がいっぱいあった。そういうとこは、ここ20年間変わってないんですよ。

でも、ヒッピーの第3世代っていうのが出てきてる。第1世代はもう僕より上ですから、
道にすわってホームレス化してんですけど、第3世代の若い人達はコンピュータ産業に
巻き込まれてて、すごく忙しいわけですよ。そういう人がアンビエントと共に仕事してる
っていう様子を見てきて、すごく親近感を覚えましたね」

―アンビエント・クラブに行きましたか。

細野「いや、クラブには行けなかった。暇がなくて。
聞くところによると、去年、おととしぐらいにはレイヴがアンビエント・パーティーに
なってきて、すごく盛り上がってたらしい。そのあたりは、サン・フランシスコに住んでる、
伊藤譲一っていうマルチメディアの旗手と呼ばれてる人がいて、彼から情報をもらってました。
話だけでも僕はなるほどと思ってました」

―伊藤譲一さんは、日本とサン・フランシスコを一番結んでいると思うし、
インターネットなんかにも詳しいと思うんですが、今回彼をコーディネーターとして頼んだのは、
やはりサン・フランシスコのコンピュータ・カルチャーやコンピュータ・ネットといったものに
興味をお持ちだからでしょうか。

細野「まあ、人並みに。あんまり深入りはしてないですね」

―例えば、ピーター・ゲイブリエル、デヴィッド・ボウイ、レジデンツなんかは
自らのCDロム作品を出してますが、そういうものには?

細野「ヴィジュアルと音楽を結びつけるということには、まったく興味がない。
情報を得る手段としてのインターネットに興味があるだけで」

―サン・フランシスコにはインターネット上にレイヴ・フォーラムっていうのがあって、
パーティーの情報や感想、写真などがアップロードされているんですが、
アクセスしたことはありますか。

細野「いや、僕もまだ自分では触ったこともないんで(笑)」

―そういうところにヨーロッパのアーティスト達が自分達の新曲を゛聴いてみて"
みたいな感じでアップロードしてて、これはプロモーションとして新しいカタチかなと
思うんですが。

細野「そうですね。ジョーイ(伊藤氏)からもそれをやれと力説されてます。
心が動いてます。今までの経済の中では出てきようもなかったようなパーソン・トゥ・パーソン
のプロモーション、いやプロモーションというよりコミュニケーション、ですからね」

―じゃあ、近い将来、ネット・サーフィンをしていると細野さんの新曲が
上がってくることもありえると。

細野「そうなると思いますね」

テクノはシャーマニズムへ向かっている

―今回のアルバムは企画もの(既に存在するエピック・ソニーの歌ものをアンビエント仕立てにする)
から立ち上がったと伺いましたが、そういう意味も含めて、前作『メディスン・コンピレーション』との
一番の違いは何だと思われますか。

細野「そりゃ、難しい問題だな」

―これは細野さんのソロ・アルバムなんですか。

細野「いや、だからそこが難しいんだよ。CD作って売るときに
旧態依然としたシステムがあるんで、違和感がすごくあるんですよ。
もう既に自分の中では、インディーズの気持ちでやってますんで。
出したら出しっぱなしだし、マイナーな流通に任せるって気持ちが強いんです。

ただ、実際はそうはいかなくてテレビに引っぱり出されたりとか。
これはレコード会社の以降で僕のソロに準じたものになってます。
僕としてはそうは考えてない」

―アンビエントでは、はっきりした歌というのは極力排除していくのが
ルールのようになっていますが、このアルバムでは、声の比重がかなり大きいですね。
これは、最初の企業が歌を使うというものだったからですか。

細野「まあ、それもあります。遊佐未森、小川美潮、甲田益也子という3人の女性が
せっかくいるんで、それを上手く使ってということです」

―新しいカタチを提唱するとかっていう意味ではなくて?

細野「アンビエントっていうのはカタチを考えるとすごくつまらない。
ある定型は決まっちゃってるんだけど、それをやるんじゃなくて、
僕が興味あるのはその言葉なんです。音楽よりもそれを包み込む
アンビエントそのものに意味がある」

―僕も、アンビエントは受け手個人個人によって違う癒しの音だと
思うんですが、細野さんがそれをやる場合、日本人のアイディンティティーが
そこにでてくると思いますか。

細野「いや、そういうことを考えるとぎくしゃくしたモノになっちゃうでしょう。
考えたりしちゃいけないし、面白くないんだと思います。そこがアンビエントの好きなとこなんで。
ただ、このアルバムはそういうポップスのやり方を交えながら作った部分もあります。

日本の土壌には、ポップスっていう核を包み込むアンビエントっていう第三の音があまりにも
ないから、ポップスはむき出しのまんま、しかも歌詞もメッセージ性を押し出したモノばかりです。
だから、その境界線をやわらかくするっていうか、響きをアンビエントにしたかった」

―ドイツのテクノ・チーム、ジャム&スプーンにリミックスを依頼されたという話を聞きましたが、
これはどういう経緯で? 彼らの作品はお好きですか。

細野「それが不可解なんですが、向こうから言ってきて、じゃあ是非って頼んだんですが、
向こうが自分達のアルバムのレコーディングに入っちゃって、それで期限切れでおながれになった。
まあ、こういうモノは縁だし、すごく好きって言うより、たまたま聴いてよかったから、
じゃあってことになったんで、また縁があれば実現するでしょう」

―細野さんは以前からUFOだったり、宗教だったり、スピリチュアルなもの、神秘的なものに
凝っていましたが、海外のアーティストでもテクノ/アンビエント系ではそういう趣味を前面に
押し出している人が多いし。ストーン・ヘンジの周りや皆既日食の時のチリでレイヴがあったりします。
エレクトロニック・ミュージックとそういうものの関係性はあると思いますか。

細野「ええ。結果的にはあるんですよ。僕はパーソナルにアンビエントをやってたんですが、
それを通していろんな音楽のスピリチュアルな部分がわかるようになってきました。
YMOの頃のテクノは20世紀的な音楽のスタイルを借りてやっていた。メロディーがあって、
サビがあってというね。蓄音機が出てきて以来のポップスのパターンを踏んでいる。

YMOは古典的テクノです。アンビエントはその構造を壊したところから始まっている。
そこで出てくるのは何かというと、スピリットだと思うんです。はっきりしたカタチではもう
取り繕えないような。同じようなカタチのアンビエントでも、リスナーにとっては良いモノ悪いモノ
が微妙にはっきりする。それは何かっていえば、スピリットだち思う。だから成り立ち自体が
すごくシャーマニスズムっぽいでしょう。テクノは今、シャーマニズムの方向に走っていると思います」

内面のアンビエントはドラッグに勝る

―レコード会社の在り方、もしくは日本のポップ・ミュージックのシーンが余りにも
アンビエントとは違うということが言われていますが、世界レベルではアンビエントが
ポップスと同様に受け入れられています。オーブのアルバムがイギリスではチャートの
1位になっちゃったりとかしてますし。例えばインディーで、そういうマーケットもターゲットに入れて
活動するなんてことは考えませんか。

細野「今の気持ちに従って言えば、このCDもおっきな声では言えないけど、インディーで
出せば、それなりの広がりは持つと思います。でも、日本の事情っていうのが非常に
微妙ですよね、イギリスほどは混乱してないですから。まだ日本では立派にセールス
してる音楽がいっぱいありますから。

そういうことを言ったのは、単なる僕のわがままというか、
少数派の中の少数派の意見ですから。ただ、気持ち的には、今後インディーズでどんどん
出していくと思います。それが自分にとって一番心地よい姿なんで」

―そうですか。海外だと変名を使ったアンダーグラウンド活動って、
メジャーの人間もすごくやってるんで、そういうことを細野さんが考えてらっしゃるのは
とても勇気づけになりますよ。

細野「去年あたりからやろうやろうと思ってたんですが、僕ぐらいの歳になると、
キャリアがありますよね。はっぴいえんどから今に至るまでの音楽活動。
いま一番めんどくさいのは、そういった自分のやってきたことなんですよ。
それを捨てる決心がついた。いまはアマチュアでもいいって感じですね。
そうしないとアンビエント作れませんから」

―KLF以降の海外のアンビエントと、ドラッグ・カルチャーは切っても切り放せない
ものだと思いますが、それが存在しない日本では、アンビエントが本当に受け入れられる
のは難しいと思いますが。

細野「それは確かにそうかもしれないです。あの、サイケの頃と同じですよね。
サイケはファッション性が強かったんで、日本に来たとき、誤解され、社会現象にまでなりました。
ただ、アンビエントはセンセーショナリズムとは無縁なモノなんで。そこがいいとこなんですが。

ドラッグは今の文明には必要な人もいるのかもしれないですが、経験上は要らなくなると思います。
人間自体の中にそういうモノがありますから。内面のアンビエントを追っていけば、そこには
ドラッグより良質な未知の部分がありますよ。ただ、西洋ではチル・アウトからアンビエントが来てる。
ドラッグを冷ますっていう部分。だから、ドラッグの使い方も次の段階に入ってますよね」

―僕はここ3年くらい東京のテクノ・シーンをみてきたんですが、クラブだと若い子達が
夜通し何もなしで踊ってます。海外のDJ達がそれを見て、「こいつら本当にノン・ドラッグ
なのか?」って驚くほど盛り上がってるんです。盛り上がるということは、チル・アウトも
あり得るわけで、そういうところで次はアンビエントも受け入れられるかもしれないと期待してるんですが。

細野「それはあり得るでしょう。ドラッグっていうのは要するに末端の話題だから。
そこに逃げこんでいくようなニュアンスがあるんで。ない方がかえって幸せかもしれない」

―今回のアルバムは、バランス良くいろいろなタイプの曲が入っていますが、
何曲かはクラブ・ヒットしそうなものもあって、そういうものに関しては、もっと時間が長くても
いいのにと感じたんですが。例えば、クラブ向きに12インチを切ったりということは考えてませんか。

細野「いや、今回はないです。というのも、僕は日本のクラブのことは全然考えてないんで。
つまり、それって一人で全部やることじゃないんですよ。誰かがクラブ・ミックスを作ってくれるのは
全然構わないんですが。そうやって広がっていくモノでしょう」

―昨年はYMOの再結成で、それまでとは違うメディアの露出だったり、コンサートをやったり
したわけですが、それは細野さんのその後の活動にどういう影響をもたらしましたか。
再結成して良かったですか。

細野「やってみてわかったことがいっぱいあったんで、その後に影響してるといえばしてます。
何がわかったかというと、もうこりごりだということ(笑)。やってみないとわからなかった。
それに、あれをやった後、静かになった。それまでYMO、YMOって言われ続けてきましたが、
あれがホントの解散公演だったと思う。みんな納得してくれて、ああ、終わったんだなと。
すっきりしましたよ」

―もう一つYMOについて、15年前に細野さんたちがまいた種というのは、いくつかは
確実に成長して、新しい世代もでてきましたが、逆にあのコンサートに集合した人たちの
ように、15年前のヒット曲を最も喜ぶファンが何万人もいるというのはどう思いますか。

細野「しょうがないでしょう、それは。再結成リバイバルっていう要素が多いし。
サービスは怠っちゃいけないんだよ」

―そうですか。昔は、裏切るってことに快感を見出してるようなところがありましたが、
YMO再生記者会見でもおっしゃってましたが、゛大人になった"ってことですか。

細野「それはね、持続している間はいろんなことできるからいいんですよ。
あれは1回かぎりなんで、フォローができない。
だからそういう遊びはしちゃいけなかったんですよ。
余韻を残すとまずいでしょ。そうすると次またやらなくちゃならないんだもん(笑)」

〔12月12日 代官山・ミディアムで〕


 


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